えにし。






縁は、えん、ゆかり、えにし…などと読みますよね。

「えんも、ゆかりもない」と、同じ言葉を重ねて強調して、
その先に続くのは、プラスの展開が多いかな。

えんもゆかりもない土地で、親身になってもらった。
えんもゆかりもない人から、救いの手を差し伸べてもらった。
えんもゆかりもない場所なのに、なぜか懐かしい気持ちになった。
えんもゆかりもないその人が、とても身近に感じた。
えんもゆかりもない、ゆきずりのその街が心に残った。

あ…マイナスもあるか。

もともと(そもそも)、えんもゆかりもない人(土地)だから。

ばっさり切り捨てる感じでも使えるか、そうですね。

誰か、何か、どこかと、縁ができてよかったと感じるか、
そんなものないほうが気楽に過ごせるさと思うのか。





進学や就職のために東京や他府県に向かう人が多い時期。

えんもゆかりもない人間が顔を突き合わせて暮らす経験は、
やっぱりしておいたほうがいいなぁと思います。

さびしさや心細さより、楽しさが勝るのはすぐです。

知らない人が相手だと、ちゃんと自分を伝えなければならないので、
自分という存在を見つめ直してみたりもします。

知り合いばっかりいる故郷では、人目を気にしていても、
知らない人ばっかりの新天地では、自由が謳歌できます。

むろん、だからといって羽目を外し過ぎてはいけません(笑)。

たしか一昨年のいまごろ、東京・自由が丘の100均ショップで、
ふいに津軽弁の会話が聞こえてきました。
見れば、モデルばりに可愛い女の子と、若いお母さんの二人連れ。
進学で上京し、新居のための買い物中だったのでしょう。

あの女の子はきっと、もうすっかり東京になじんで、
青森になんて帰りたくない、東京で就職してしまいたいなんて
考えているかもしれません。
津軽弁には封印をしてしまったかもしれません。

震災後、関東圏の安全性がいろいろ取沙汰されても、
やっぱり東京がいい、という人は多いと思います。
なんといっても、日本の首都で、すべてが集中しているのだから。
若い人にとって魅力的でないわけがありません。

いまの東京に、江戸っ子はごくまれです。

ほとんどの人が地方出身者か、地方出身者の子どもです。
いろんな県の、いろんな人が寄り集まっての東京です。
むろん、日本ではないよその国の人もたくさんいます。
職業もさまざまだし、あらゆる文化が混在しています。

そんな、これまで、えんもゆかりもない人やものに、
たくさんたくさん出会えるのが都会の魅力だと思います。





最近の若者は、高望みせず、身の程を知って、
浮ついた戯言を言うことが少なく、地道であると言われますが、
10代後半から20歳くらいの若者もそうなのかなぁ。

まだまだ夢見がちで、都会に憧れて、ふわふわしているお年頃のはず。

できれば、志ある仲間と出会って、上を向いて歩いて欲しい。

都会は、冷たくもなければ、厳しくも、怖くもないと思います。
田舎以上にいろんな人がいて、いろんな環境があるだけです。

流されてもなんとなく生きて行ける点では、田舎よりも楽かも。
なにかしらの食い扶持は稼ぐ手段がありますから。
自分で稼いで食べていかれるというのは、いまの時代、
それだけでもう十分に立派なことですよね。

でも、ただ生きられるだけでは、楽しくありません。
夢中になれる何かのために、生きていられたらいいですよね。
ま、若者だけじゃなく、年寄りも絶対に。

自分をしっかり持っていないと暮らせないのは、どこでも一緒。

いまさらながら、自分の職業の偏りがつくづく身にしみました。
特殊性は、生かす場所がなければ、無いに等しいのであーる。

流れ、流されて、東京でなんとなく働けてきてしまい、
この歳になって、本当に遅ればせながら驚愕の事実に気がついた
こんな情けないオバさんにならないように(笑)。





えんもゆかりもなかったはずの人たちと、
いまでは、えんもゆかりも感じながら、つながっています。

東京に感謝。東京で出会った人たちに感謝。

生まれ故郷でありながら、まだまだ心理的距離を感じる青森ですが、
帰郷2年目に突入する春から、新たなえにしを結んでいきたいなと。

春まだ遠い津軽にて、自分を励ますオバさんです…。





がんばれ、あたし♪ 開拓者になるのだ〜。
by aomoringo50 | 2012-03-27 08:03 | つながり