人生50年。




の時代(江戸時代まで)は、
高貴なお方は基本、食生活の豊かさゆえ、少々長生きでしたが、
庶民の寿命は、よくて、せいぜい50歳まで。

それで、いいじゃん…と、ずいぶん前から思っており、
長生きがもらたす弊害の方に目がいってしまうのであります。

わたしは、60歳までに死んでしまいたいと、
だいぶ前から思っていました。書いてもいました。
他人に迷惑をかけずにフェードアウトしたいと思っていたのです。

いまも思いは同じです。
両親を看取り、愛犬を看取ったら、役目は終わりだなぁ…と。

悲観的なわけではありません。
生きている意味や価値は、役割&役目のあるうちだと思うし、
経済的にも老後の自分を支える自信がないので、
生活保護を受けるよりは、役に立たなくなった時点で
フェードアウトしたいと、ずーーーっと思ってきました。

自分の人生。自分で幕を引きたい。
わたしの支えは愛犬なので、
彼らの健康や快適な暮らしを維持できなくなったらおしまい。
そう決めています。

愛する存在を守れなくなったら、もう、
生きてる意味も価値もないと思っています。

寝たきりになっても生きながらえさせる医療には、
じつは、ずーっと反発しています。
大往生は、からだの声に正直にしていなければできません。

前向きに生きていくことに貪欲であるのと同じくらい、
老衰で寿命を全うできるように健康を維持できる努力をする。
その覚悟がない自分など、長く生きても苦しいだけ。
それだけは、本当に自覚しています。

ベッドで床ずれに苦しみ、口から食事をとれずに、
それでも、そうしてそこにいるだけでも両親にはいて欲しいと
おっしゃった70代の方がいらっしゃいましたが、
わたしには理解できません。

そこに、本人の幸せはないと思うので。
by aomoringo50 | 2012-05-31 21:14 | 雑記